想像力

障がいを持つことに対して

「障がいは個性」とか

障がい者障がい者として認識しないでほしい」とか

「障がいを負のカードとして扱い、可哀想だから哀れんで というスタンスの人は近づかないで欲しい」とか

 

それぞれ「障がい」に対して見解が分かれると思う。どの意見が良いとか良くないとかそういうことを僕は言いたい訳ではない。

もちろん「前向きなスタンスでいて欲しい」という気持ちは分かる。

ネガティブな感情は伝染する力を持ちうるからだ。

でも、今回たまたま見かけた意見で言いたいのは、

 

『ある程度の影響力を持った人が、言う「正論」のような意見は武器になりうるということだ。』

 

勿論 言論の自由、意見する自由はあるが、

その意見が人を傷つける可能性があるかもしれないということを深く深く考えることは、大切だと思う。

身体、精神も含め、「障がいを持った人」は

健常者よりも遥かに傷つきやすい状態にあることは誰しも想像がつくと思う。

 

「僕のこのスタンスが正しい」と言ってなくてもそのようなニュアンスに聞こえれば、

異なるスタンスを持った人にとっては

「僕のスタンスは間違っているのか」

と思ってしまう可能性もある。そしてそれは言った本人の想像を超える傷を付ける可能性がある。

だからといって「言動を弁えろ」と強制をしたい訳でもない。

「お前は一体何が言いたいんだ」

と思われるかもしれないが、ただその可能性について考えて欲しいのだ。

「過失致死」ならぬ「過失心傷つけ」

とでも名付けておこう。

 

「障がい」は「個性」であるかもしれないが、「不便」であることが多い。これは紛れもない事実だ。

その「不便」は想像もつかない場面で登場することもある。

その「不便」は自分の力ではどうしようもないこともある。

僕自身

たった「首がうまく動かない」だけで、相当の「不便」を覚えた。

「不便」は人を「混乱」させるし、「動揺」させる。

どうかもう少し、寛容でいられないだろうか。

ムカついても、我慢してくれないだろうか。

 あなたが目で見えている情報以上に「混乱」し、「動揺」しているかもしれないのだ。

もしかしたら、もう少しでその人なりの「工夫」を見つけられるかもしれないのだ。

 

うまくまとめることができないが、

僕は「ノブレスオブリージュ」という考え方が好きだ。そのような感じだ。

 

こんな風に言っている僕自身も、もしかしたら誰かを傷つけてるかもしれないから、永遠に勉強が必要だと思う。

 

稚拙な文章で、うまくまとめることが出来なかったが、これをここまで読んでくださった方には

「勉強すること」

「想像する力をつける努力をすること」

出来る限りの範囲で構わないから、これだけは少し強制させて頂きたい。