12.17

今日はとても天気が良くて気持ちがいいです。(東京は新宿区より)

あと、少し左前にパソコンを置くと、打ちやすいことも発見して嬉しいです。

さておき

今回は、僕が生まれる随分前に亡くなった祖父の話を。

祖父は大学教授として、働きその専門はカント哲学であったそうだ。

ふと朝、母と話をしながら祖父の名前を検索すると、平成元年に亡くなった祖父への追悼の意の込もった多くの手紙のような、偲ぶ文が見つかった。

祖父は通勤の間も片耳にイヤホンをさし、ドイツ語を学ぶほど、寸暇を惜しむまさに 学究の徒であったそうだ。まさに薩摩隼人といった人で多くの生徒、教授から慕われ

58歳という若さで亡くなったことを惜しむ人が多くいたそうだ。

 

僕は今年、人生において初めて病気というものと戦い、「生きること」を考えさせざるを得ない場面が多かった。

その中で、感じたことは

「生きている」というより「生かされてる」ということ

そして、僕の病気が突然やってきて突然何もできなくなったように

「いつ死ぬか、何もできなくなるかは本当にいつ来るか分からないこと」

この程度であった。

 

祖父の多くの追悼文をみて

「多くの人に、惜しまれて死にたい」

という願望が加わった。

さらに、こうして教授として生きる道もあることを教えられた。

今年も師走らしくなり終わりが近づいている。

来年1年、僕は一体どんな道を歩んでいるか今の段階ではまったく想像がつかない。

しかし、僕の中にはこの祖父の血が流れていることを誇りに思う。

また、祖父にも生かされているということを感じる。

年が明けたら、物心がちゃんとついてない頃以来の、お墓参りに鹿児島に行こうと思う。