今も闘病を続け、出口の見えないトンネルにいるような感覚の人へ

2018年、大学3年の時に、痙性斜頸という病気を発症してから約2年が経ちました。

ボトックス注射での治療を続けていたのですが、病状が寛解したので、

治療を始めてから、初めて今回の治療は見送りする予定です。

 

今は大学4年生として復学し、就職活動をしています。首も病気当時のことを思い出せないくらい元気に暮らしています。夜にはランニングをすることもありますし、大学のジムにも通っているほどです。

 

僕が、こうやってブログを始めたきっかけは、今この瞬間も闘病を続けている人が少しでも僕の経験をこうして書くことで、希望を持てたり、まだ頑張れそうと思って欲しい

という思いからです。

僕も一昨年同じように同じ病気の人のブログを読み進めていて、寛解したり、病状が良くなったのちにブログの更新が止まってしまい、かなり寂しい思いをしたことを覚えています。

なのでまたちょこちょこ続けられたらと思います。

 

今も何かしら闘病をする人に向けて、

これからもまた少しずつ当時の話をしたいですが、

今回は結論

思う存分休んでください

と言いたいです。

仕事をはじめてから、闘病生活が始まった人や、僕みたいに学生生活の途中に発症する人、特に若い人は、

病気で自分の人生をかなり邪魔されてる、闘病でダラダラしてる時間が勿体無い

と思うことがあると思います。

僕もよく思いました。無駄に英語のテキストを買ったりしてました。

 

でも、結論

いくら休んでも、多分後でどうとでもなります。

22歳でまだ社会人経験のない小僧ですが、こう思います。

 

僕の闘病期間がそんなに長い方ではないから呑気に言えることかもしれませんが、

当時に焦っていた自分に何か言葉をかけるなら、

思う存分休め!!

かなと思うので、こう書かせていただきました。

1日中、ニンテンドースイッチどう森とかやってください

好きなお笑い芸人の名前をYoutubeで検索してダラダラ見てください

 

なんとかなります。大丈夫です。ほんとに。

ちょっとでも気楽に休める人が増えることを祈ってます。

 

ではまた

暗闇で振り回す両手もやがて上昇気流を

来月の末に僕は22歳になります。

去年の11/25、 僕は21歳の誕生日にボトックス治療の効果が出るという去年の僕にとっては、何より嬉しいプレゼントでした。

 

誕生日の2日前、11/23

アナザースカイの山下智久さんのLAの回

多分その前の回の大石絵理さんのロンドンの回

 

この2回を見て、僕の目標であり、闘病中の心の支えである

「海外へ行って、広い世界を見る」

という夢が浮かびました。

ずっと家と病院と治療院だけに通っていた僕にとっては途方も無いような目標でした。

そんな風に本能的に目標にしているうちに

幸運なことに、本当に幸運なことに、ボストン研修という機会を見つけて、今年の夏からあの頃の僕が夢見ていた景色が現実になりました。

 

治療院の帰り、右手を噛みながら見上げてた有楽町の空は、ボストンの空と海に変わり、噛まなくなった右手はボストンの太陽に照らされて綺麗に日焼けしました。

治療の帰り電車で聞いていた曲は、ライブハウスで僕の耳に直接入ってきました。

海外の大学でガチガチに緊張しながらも、英語でプレゼンしてみたいという目標も、本当にガチガチに緊張しながらも笑、最高評価を貰って自信がつくという形で達成しました。

 

あんなに悪化していた首の状態も信じられないほど回復し、ボストンが近づくにつれて寛解に向かっていました。

 

そして、来月の誕生日

目標を持った原点であるLAに1人旅に行ってきます。

そこで病気の発症から始まった僕の旅が1つの終わりを迎える気がします。

 

こう書くとあまりにも出来過ぎているように自分でも感じますね笑

 

1年かけてあれだけガチガチだった僕の首がちょうどボストンに来るタイミングで寛解に向かったのは

去年の誕生日の頃、僕が夢を持ち始めて

首の状態を忘れるくらい、そればかりを考えて

言い換えるとそればかり考えることができたから

だと思います。

希望に溢れた夢や目標を持てば、何でもかんでも上手くいくとは言い切れません。

ただ、目標を持ったりすると、僕のような少し不思議くらいなことが起きる可能性もあると思います。

でもこの夢も、僕が参加したプログラムが現実的に存在しないと叶いませんでした。

 

若者、多くの人にとって、機会がある、チャンスがある、というのは僕らが大人になっていく上で、次の世代にできるとても大切なことではないかなと思います。

少なくとも先の見えない真っ暗なトンネルにいた僕にとっては、出口の一筋の光のような存在でした。

 

このプログラムに限って言えば僕も含めた障害の当事者にとって、多くの時間を多からず、少なからず不便を感じて過ごし、日本においては孤独感や疎外感を感じたり、僕のように物理的にも精神的に狭い世界で過ごすことがある人がいると思います。

 

そういった人にこのプログラムが知られればと思います。

この機会を用意した全ての人に感謝したいですし、僕もこの体験を次の世代にいつか渡せたら嬉しいです。

 

12月までは今あるこの時間を大切に過ごします。

 

今どこかで苦しむ過去の自分のような若者に幸あるように

ボストンに来て1ヶ月 続き

【ボストン/人】
アメリカ人はみな金髪で目が青い感じをイメージしていた。
現実は、黒人、アジア系、メキシコ系もめちゃくちゃ多い。僕がよく使う近所のバスは黒人率95%くらい。
地域差はあるかもしれないけど、黒人の多さは想像以上だった。

あと、みんなめっちゃ電話してる。歩いている人もair podsで誰かと話しているし、バスは絶対2、3人がテレビ通話で会話してる。
え、そんな話すことある?
という感じ。
誰と話してるんだろう。。
と思うけど、多分どこかのバスに乗ってる人なんだろうと思う。

 

【ボストン/ホームステイ/ご飯】
来る前は、ホームステイ先は
USA! PIZZA! CHICKEN! SPAGETTI!
みたいなものを想像していた.
が、現実は
薄味のスープ。申し訳程度の味のついたチキン。セロリの主張が強いサラダ。
薄い、薄いよ君たち。ゆーえすえー..って感じだよ

今までで印象に残ってるのはサラダライスとキューカンバースープ。
サラダライスとは
ザク切り野菜とベチャベチャライス、薄めのシーザードレッシングを混ぜた 謎の料理。
昼ごはんとして登場したが、あまりにも喉が拒絶したので、とりあえず熱を通しパエリア風にして
我らが焼肉のたれをかけたら、なんかそれっぽくなった。
全部食べたところで、おばあちゃんが登場し、焼いたことを説明すると
oh! Crazy boy!
と言ってきた。アハハ...と笑いながらご飯に対する期待が0になった。

続いてキューカンバースープ(冷たい)
キュカンバーとはきゅうりのこと。
はい。もう分かるよね。
冷たい。きゅうり。スープ。
美味しい訳がない。
でもおばあちゃんは「これがねー美味しいのよ、ほら!試してみ!」
勢いに押されて飲んだ。
紛れもなくキューカンバースープ。
それ以上でもそれ以下でもない。
大量生産されていたため次の日にも飲むことになったが、なんだかおいしかった。気がした。
自分の成長を感じた。

 

【ホームステイ/部屋】
これは想像以上。一階に自分専用の部屋があり、トイレ、シャワールーム付き。机、ベッドも申し分無い。これはたまげた。
初日に、一匹のでっかいハエが部屋を飛び回り
最高に居心地が悪かったが ハエがいたのはその初日だけだった。
1ついうとすれば、地面が靴でも歩ける感じの漂うフローリングなので、
疲れて帰ってきた時
はぁぁぁ と床に寝っ転がりたい日本人としては少し違和感。部屋というより、ROOMという感じ(伝われ)

 

【ボストン/大学/雰囲気】
日本の大学、特に都内では、キャンパス同士はとても近い。駅からも徒歩。
一方こちらの大学はとにかく広いので、スケボーとか移動手段はオシャレとか関係なく必要な感じがする。
ちなみに、この韓国人?の学生が使ってる電動スケボー、多分これがあると超便利。

僕が通っているマサチューセッツ大学は駅からシャトルバスが出てそれでキャンパスに行ける。
近くに海があるのは景色的には凄い良いけど、多分これから半端なく寒くなりそう

 

【ボストン/大学/クラス】
僕がとっているのは、留学生向けの英語のクラス。どの学校でもESLって言うのかな。
最初に入ったクラスは
中国人3人 フランス人6人 コロンビア人3人 インド人1人

とにかくみんな積極的。
日本だと授業中に積極的な生徒は真面目、熱がすごい。という感じがするが こっちはもう単純に言いたいことが頭に浮かんだらすぐ発言する という感じ。
インド人女性なんかはもうとにかく喋りたいだけ喋る。

控えめなフランス人のスピーチが終わってから、髪かきあげイケイケコロンビア人女子とちょっともうお母さんくらいの年齢のインド人が盛り上がり過ぎて、しばらくそのフランス人は呆然と立って待たされていた。

「座れないね(笑)」って感じで目線を送ったら
「それ(笑)」という感じで笑い返してきて、なんだか心が通じた気がした。

英語力はみんな凄い。
日本だと「英語を勉強してます。」って感じで科目の1つって感じだけど

こっちの外国人は
英語をsecond languageとして使ってる感が強い。使い慣れてる感がある。
言語は勉強するんじゃくて使うものなんだなと思い知らされる。
日本の英語教育批判はよく聞くが身をもって実感してしまった。
英語を使いまくる、使おうとする色んな国の学生の中で、練習しないといかんなーと思う。
日本だとその環境が作りづらいから厳しいんだろうなー。

 

【総括】
海外に留学した学生は大きく2パターンに分かれると思う。

・海外めっちゃ好き! 住みたい!
・日本ってめっちゃ便利だったんだ。。セブン行きたい。。おにぎり食べたい。。

僕は後者だと思う。
ほんまセブン行きたい。セブンのなんでもないあのお弁当が本当に恋しい。てかセブンのもので一生暮らせそうじゃない?!それ半端なくない?!

こっちにもコンビ二はある。けど
スナック! ペプシ! ウォーター!
何か食べたきゃ となりのストアに行きな!
あそこならポテトとかホットドックとかあるぜ!
という感じ。
おいしい日本のご飯からしばらく離れるとご飯に対する思いが薄くなります。もう食えればなんでもいいっす。

1時間待ってようやく乗れたバスで
なんか後ろにブチ切れてる外国人がめっちゃ何かを蹴り飛ばしてます。急にぶん殴ってきたり、銃乱射とかし始めたりしないことを祈りながらヒヤヒヤしながらこれを打ち終えてます。頼むよほんま。。。

 

では。

ボストンに来て1ヶ月

ボストンに来て1ヶ月。

都内の中高一貫の男子校を卒業し、早稲田大学文化構想学部に進学。
3年次に病気を発症し、その経験をキッカケに
social justice(社会正義)inclusion(インクルージョン)を促進する非営利の団体にインターンしながら、マサチューセッツ大学の語学研修を受けている。英語研修の後にはAsian American Studiesというアメリカに住むアジア系アメリカ人の歴史、文化について学んでいる。

こう聞くと、
わー優秀な学生って感じー
と思うかもしれない。

たしかにちょっと勉強はしたかもしれない。
けどそんな大したことはない。
それに早稲田大学に入った学生の中でも本当にど真ん中、超がつく平均的な学生だと思う。
サボっているわけでもなく、超優秀なわけでもないストレート、ど真ん中。

だから逆に言えば僕の海外での感触は、私立文系大学生の一般的な感触だと思う。多分。

一般私文大学生が海外に出るとどう感じるか

約1ヶ月経った今 その感触について書いてみたい。

 

続く。

京都アニメーション放火事件被害者の実名報道批判について思うこと

7月の京都アニメーションの被害者の実名が公表されたことに関して、様々な議論がされている。

メンタリストのDaigoさんが動画にて、「公益性」が不明瞭であること、被害者家族への精神的被害を予測し批判したことは多くの方が知っている事実だと思う。

 

障害当事者の研修としてボストンで研修をする中で、障害に関する議論をすることがあるが、今回の実名報道を聞き、「相模原障害者施設殺傷事件」に関する議論を思い出した。

「相模原障害者施設殺傷事件」での実名非公表から実名公表について考えて、今回の実名公表に関して僕なりの意見をまとめたいと思う。

 

「相模原障害者施設殺傷事件」とは、16年7月に相模原市の障害者施設で入所者19人が殺害された事件である。

被害者家族の強い要望により、特例で被害者の名前が非公表になったというものだ。

 

被害者家族が非公表を強く望む理由はなんだろうか。

今回の京アニの件でも共通して言われていることは、実名報道後の二次被害だと思う。

週刊誌に執拗に取材されることが増え、それが被害者家族の精神的被害になるというもの。これには、大いに納得できる。被害者家族は被害者本人の次に考慮、配慮されるべき被害者であると思う。

 

ただ、僕がやはり気になるのは、被害者家族は被害者の「次」であり、亡くなってしまた本人の意見を死後に聞くことはできないもののもっとも優先されるべき意見は「本人」であるということだ。

話を「相模原障害者施設殺傷事件」に戻す。

特例で被害者本人の名前が非公表になったが、なぜ特例になったのか。

これは、被害者家族の被害者本人への「差別意識」が隠れているように感じる。

もちろん完全に「差別意識」をなくせというような、障害のない人と完全に同じように接することが現実的に難しいことはわかっている。

 

しかし、亡くなった本人が仮に天国からその様子を見ていると仮定した時、本人はどのように感じるだろうか。

 

「僕が障害者だから、実名で報道されるとお母さん、お父さんに迷惑がかかるのか」

「お母さんは僕と家族であったことが全国に知られることに強い拒否感があるのか」

と感じないだろうか。

もちろんそんな風に思っているかなんて全くわからない。知る由も無い。

家族に被害が出ないことが、何より本人にとって幸せなことかもしれない。

でも、彼らが障害を持っていようと、それを全国の他人が知ろうと、彼ら自身を家族が愛していたことを彼らが天国からしることが彼らにとってもっとも幸福なことではないだろうか。

 

今回の事件についてもそれに近いことが言えないこともないと思う。

実名報道に対して公益性が大きく見込めなくとも、自分が生きていたことをちゃんと名前をあげてほしいと思う今は亡き被害者もいる可能性もある気がするのだ。

僕が言いたいのは、実名報道するかしないかを決定できる最大の決定権、正義は亡くなった彼ら自身が握っているということだ。

彼らがどう思うかは、彼ら自身をもっともよく知る人たちが予想し、決めるしかない。

その予想が、被害者本人は実名報道を望まないだろうと予想するならば、その意見は尊重されるべきだとも思う。この時も、本人の予想される意思を考えるというスタンスをとってほしいと思う。

はっきりいって赤の他人がそれを予想するのは不可能だと感じるので、どのような形の署名活動かにもよるが、全く無意味なものであるように感じる。

 

 

僕がこう思うのは、僕の障害の経験からくるのかもしれない。

僕が去年、「痙性斜頸」になった時すごいショックを受けた。

人には言いたくなかった。

だが、自分がカミングアウトすることで、誰かのためになれたと思えたことは、障害が重かった時期の僕にとって、自分が障害を持ったことを受け入れることができた理由の一つにもなりえていたと思う。病気になってからそのように考える人がSNSを通じて僕だけでないことも知った。

僕の好きなアーティストにtroye sivanという人がいるが、彼はゲイだ。

それを公表することで、精神的に救われた人が多くいることも知っている。

今回の事件で彼らが、自分が亡くなったことが数字でなく実名で報道され、その多くの追悼で今回のような事件が2度と起きないことに貢献でき、彼らの死が彼らにとって絶望的な意味だけでなく、少しでも意味のあるものになり、彼ら自身が「死」を受け入れられるようになると仮定したら。

 

今回の件と少しずれてしまったかもしれない。実名でなくてもそれは可能とも言えるかもしれない。でもあまりにも多くの人が実名報道を「マスゴミ」と単純に批判して、実名報道に関する様々な側面を本当に真剣に考えているのか疑問になり、その空気感に違和感を感じたのでこれを書くに至った。

読みづらい文章であるし、これに対して納得できない人も多くいるかもしれないが、それで大いに構わない。

ただこれを読んだ人には、謎の正義感から他人の怒りに無意識に同調し一辺倒に批判する人にはなって欲しくないと思う。

08.17

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Who knows how long I spent on bed?

Who knows my bloody right hand by biting?

Who knows my feelings last year?

Yes they do.

She went to hospital with me.

He spent a lot of money for treatment for me.

I showed around Boston for them.

I showed them how to take a train in Boston.

I showed them my healthy tanned right hand.

Who knows their feelings today?

Yes I do.

08.12

プログラムでの課題からの引用

 

First diary at TOMODACHI leadership program

 

Before arrived

  1. Site visiting

・UMB Campus

・RIDE Eligibillity

・Boston Children’s Hospital

・MBTA

BSN summer camp

  1. Others/Impressions

 

【Before arrived】

ボストンに来る前の成田空港から飛行機の中で、隣に黒人のやんちゃそうな外国人が座り、すごい話しかけたくなった。タイミングを逃し続けて、結局初めて話しかけたのが朝ごはんの時。レタス、バンズ、肉、ソースが分離しているもので、隣の人は、そのやり方が全然わからな様子だった。勇気を出して、「you don’t need it?」「No」

悩んだ時間がばかばかしくなるくらいあっさりしていたが、そのやんちゃそうな外国人の瞳が青い色ですごく綺麗だったのが印象に残った。

その後、税関の書類を聞いてきたり、少し仲良くなれた気がする。

 

【Site visiting /UMB Campus】

こちらに来る前に、インターネットで調べていたが、その想像をはるかに超えてくる立地の良さだった。構内のエレベーターの天井が高くて驚いた。

学校のグッズも想像以上に高くて驚いたけど、パーカー、アウターは最低買いたいと思う。

 

【RIDE Eligibillity 】

面接を通して印象的だったのは、面接官の質問内容の細かさ。

このくらいの距離はあなたにとって困難?

電柱?から電柱の間を1つの区間として、いくつがあなたにとって歩く限界?

仕事においてもそうだが、内容、実際の数値、を最も重要視する文化が垣間見えた。

 

 

【Boston Children’s Hospital】

ここで1番驚いたのは、保証制度。負担額がほとんどないというのは、衝撃だった。

あとはプログラム内でのその選択肢の広さ、病気基準ではなく本人基準というスタンス。

細かく書類の部分でも、コンサルティングをするという言い方も印象に残った。

 

【MBTA】

オフィスに入ってすぐに車椅子の2人が颯爽と出勤しているのを見たのが印象的だった。日本のオフィスにあまり行ってないからかもしれないが、普通のことではないように思えた。

実際に話してみて、自己紹介がまず全然覚えられていなかったことが、悔しかった。でもうまく伝えられなかったことが、普段の会話もそうだがモチベーションになっていると思う。

ヘルプマークに驚いていたのも印象的だった。

また会社としては顧客の意見を重要視し、それをもとに改善を続けているのだということがわかった。

 

BSN summer camp】

障害を持つボストンに住む家族を対象をとしたサマーキャンプ。

みわさんも言っていたが、これに参加することで、夏休みにキャンプに行ったよ、と子供が言えるということはとても大きいと思う。他人にいうことに重要視しなくても、みんなでキャンプに行ったというイベントは子供の気分、思い出にいい影響を与えていると思う。

おかあさんと話し、僕が記録を残していたということを伝えた時に、障害にしろ、病気にしろ時間が経つと自分が思っている以上に忘れてしまうから、後でやろうと思わずに今記録に残していくことが重要だよね、と言われ、普通の友達が言う以上に言葉に重みを感じた。

脳機能的な障害を持つ子供をただ知るのではなく、一緒に手を繋いだり、ご飯を渡したり、話したりした体験は僕にとって新鮮なものだった。知ることより、触れることが本を読むより、テレビでみるより、効果的で印象に残ると思う。

 

【Others/Impressions】

1週間が経って、少しずつ慣れたものが増え、飲み込まれることが少なくなってきた。自分で図書館にふらっと行こうと思ったりするのもその一つだと思う。

インターンシップでどんなことをやるのかはまだわからないが、もっと目に見えにくい障害を持つ人と触れるためには、また他のdegital story をどうやって作るかについても考えていきたい。