12.2

久しぶりの投稿になります。

「何かを残さなければ(意識高め)」という自分、

「もう無理だ(悲観的)」な自分

「なんでもできる!頑張りましょう!(意気揚々)」みたいな様々な自分

からうまく距離をとって、なるべくぴったりライトに手紙のように書いていきたいと思います。

 

更新がなかった間の日常から。

2度目のボトックス治療の時に、手術の可能性を伝えられ、正直効果もいまいち期待しておらず、2週間程寝たきりで適当にその日ごとの気分でジョギングをしたり、

僕の好きなバンドマンの書くような文体で可哀想な子ごっこのようなインスタをあげたりしていました。

 

2週間経ち、「右腕、右手を噛まずとも歩ける状態にまでなっていたけど、外にこの姿で歩くのは、かっこ悪いし、別に家でいいや。」といったひきこもりに近い精神状態でずっと家にいた僕に対して、母から軽い忠告のような、嘆願のような内容のことを言われました。

聞いた直後は、ただイラっとしました。(「仕方ないだろ」的な)

ただ、どこか自分の痛いところを突かれたという意識もあったので、怒り任せに電車に乗り海まで行きました。こういう時に海に行くっていうのが、映画の主人公がしそうなことで、普段から自己陶酔気味な自分らしくて少し笑えるのですが。。

ただ実際そこから、投げやりな気持ちくらいで学校になんとか行き始めました。

行き始めたのが、誕生日の次の日(21歳初日)で、秋学期(2学期制)のちょうど折り返し日でした。たまたまですが、ここが本当に小さな、でも大事な分岐点だったと思います。

書いている今日は、そこから、ちょうど1週間経ったところです。

体、腰、首を曲げながら外に出たり、友達に会うのは、超嫌だった頃からは、少し諦めというか、受け入れというか、上手く言えませんが、前に進むようにはなりました。

気持ちにも少し変化がありました。

以前は、同世代の有名人と比べて、「なんで自分はこんななんだ」とか

同い年の友人が就活で奮闘する姿を見て「のんきでいいな、とか、なんでお前なんかが」くらいに思ったことも正直ありました。

要は、他人と自分を比べてばかりいて、自分を大した人間だと思っていました。

もちろん、まだ健康体な友人をいいなとは思うし、羨ましく思う時もあります。

ただ、日々のなかで、「しいたけ」さんのブログを読んだり、糸井重里さんの文章を読んだり、自分なりに色々考えていくうちに、

特に「三人称」さんの動画を聞いて、1日憂鬱でも、聞いてる時だけは笑ったりできる時に

「自分はよくよく考えたら、特別歌が上手いわけでも、顔がかっこいいわけでも、なにかすごい才能があるわけでもない、いわゆる大したことない人間なんだ。(いい意味でそう感じました)

顔がいい人がアイドルをするのも、歌が上手い人が歌を出すのも、ダンスを踊る人も、それぞれの「役割」なんだな」と。

「三人称」さんは、良い意味で普通で、特別大きな才能や特技(ないことも全然ないんですが笑)があるわけでもないけれど、病気でほぼ引きこもり状態で、1日で憂鬱な日も動画を見たり、聞いたりすると、絶対に笑えたんですね。

これって僕にとってはめちゃくちゃすごいことで、ありがたいことで、本当に助けられて

それが「三人称」さんの「役割」だったんだなと。

今までは、「使命」とか「大義」とかなんだか大きなことをしないといけない気持ちに駆られていたんですけど、

これからは「誰かがちょっとでも安心する」とか「少しでも希望が持てた」とか

そういう「隣の人をクスッと笑わせる」くらいの

小学校の兎小屋をいつも綺麗にする係とかそれくらいの

「役割」を見つけられたらいいな、という風にちょこちょこ歩いてます。

だらだらしたり、好きなゲームをちょっとしすぎちゃったり、夜にyoutubeを見すぎちゃったり、大人数の教室に疲れたり、そのくらいの日々の中で、

いい意味で諦めつつ、少しずつ治療しつつ。

面と向かってはうまく言えなかったりするけれど、学生課の職員の人だったり、授業のレジュメを送ってくれる友人だったり、このブログを打てるまでにしてくれた医者だったり、ムカついたりすることもあるけど、確実にお世話になっている家族への、「感謝」の気持ちも、日々小さくも心に留めながら、まだまだこれから長い道のりを気楽に、根気強く歩いて行きたいです。

また結局「頑張る宣言」で締めるのが、飽きてきたんですがどうもこれしか思いつかないので笑

、、

あと、何か障害をもった学生の団体だったり、僕が役立てそうな場があればご連絡いただけたりするとありがたいです。笑

では。