今年を振り返り、来年へ

今年も残り今日も含めて10日となりました。

親と自分が今後将来どうしたいかちゃんと向き合って話して、

嵐の「僕が僕のすべて」を聴きながら、熱いうちにブログを書こう思います。

とてもいい曲なので皆さんも聴きながら読むといいかもしれません。笑

 

このまえのブログでも振り返った通り、今年2018年は本当に人生初めて味わった挫折と痛みと病気と苦しい年になりました。

2018年3月に首の異変を感じてから、4月、5月と病名も不明のまま重く受け止めず、それでも実体を掴めない不安の日々を過ごしていました。

それから6月。忘れもしない6月9日。

友人に紹介して貰った民間療法の治療を受けた次の日から7月まで約1ヶ月間地獄の日々を過ごしました。

首が動きすぎて、立っていてもぐるぐる回ってしまい、手で制御することもできず

トイレを済ますのも、とてつもないパワーを使い、お風呂には入れない日々も続きました。

7月に入り、学校の試験、レポートに追われる日々が始まりました。

私立の大学なので、「単位を取らないと」と必死になり、全授業の教授と連絡を取り、出席出来てなかった分、人より2倍のレポートを書いたり、きつい体勢でなんとか試験を受けたりしました。

それでもありがたいことに、多くの教授は細やかに優しく対応してくださり、名前をあげると、早稲田大学に入れて本当によかったと思いました。

そこから、すこし寛解し、とある鍼灸院に通うことになります。

しかし、それでもあまり症状は緩和することはなく、電車の中でも、家でも、

右腕を噛んで必死に生きていました。右腕を噛んでいないと首が反っくり返ってしまいまともに歩けない状態でした。

 

しかし、あまり効果が感じられず、1回目のふさぎ込む日々が始まります。

ふさぎ込んだ日々を見かねた母が別の新しい鍼灸院を見つけまた、通うことを勧めます。

そこで、新しい鍼灸院に通い始め、待ちに待った1回目のボトックス注射を受けます。

ここから2回目のふさぎ込む日々が、始まります。

効果は1回目の注射ということもあって、あまり感じられず、必要以上の期待とすがる思いがあった分、効果がでなかったことに落ち込み

「自分はもう一生治らないんじゃないか、このまま生きるなら死んだ方がマシだ」

そんな風に思いながら、一日中真っ暗な部屋に寝たきりになり2回目のボトックスまで待つ日々が始まります。

救いとなったのは、新しく通い始めた鍼灸院でした。本当に、本当に親身になって寄り添っていただき、心身ともに本当にギリギリ保ってもらったという感じです。

 

そして2回目のボトックス注射を迎えます。この日程も、本当にありがたいことに何度も何度も日程を早めてくださり、運も良かったと思いますし、早めるために親も含め、多くの人が協力してくださりました。

 

そして11月25日。これは不思議なことに僕の誕生日なんですが、徐々に感じていたボトックスの効果を確実に感じた日でした。

今までの人生である意味一番嬉しい誕生日プレゼントだったかもしれません。

そこから学校に通えるまでに回復し、こうやってブログを続けられたり、

多くの人に出会える活動会に普通に参加できたり。

健康な人からすれば、大変そうに見えるかもしれませんが、首が多少曲がっていようとこの普通の生活を過ごせいることが、どれほどありがたいことか

それを日々感じずにはいられません。

 

こんなかんじです笑

少し重い内容で、読むのも辛かった人もいるかもしれません。

でもちゃんと覚えているうちに、ちゃんと記録しておこうと思って書かせていただきました。

病気を抱えながら必死に単位を取って、自分なりには頑張った感があるので、

来年2019年は病気が寛解するしないに関わらず、1年間休学しようと思います。

今年、1年間塞ぎこまれ、狭い場所に閉じ込められた中で耐え切った自分へのご褒美だともおもって。もちろん、ちゃんと病気をもう少し寛解させたいという気持ちもあります。

そして金銭面でもありがたいことに、決して安くはないのですが、他の大学に比べるとかなり安くで休学できることもわかりました。

 

まず、僕は今学期の単位をきっちり取らなければなりません。

そこから、2019年。

1年間、思いっきり自由に、多くのやりたいこと、やってみたいことに失敗しようと挑戦していきたいと思います。

同じ病気の人、そうでない人とも交流をしたいし、日本だけでなく海外の人とも交流を持てたらいいなとも思います。

別の媒体(youtubeだったり)にても日々更新していきたいと思うので、ぜひ見ていただけたらと思います。

ありのままでもう1回悲しみ超えて誰のでもない名もなき道を、歩き出そうと思います。

長々と読んで頂きありがとうございます。

来年、違う形で色んな活動を通して、少しでも、僕もまだまだですが、病気と闘う人の1人でも力になれたらと思います。

それでは。