矛盾
8月28日
見城徹のアナザースカイを動画で見た。
ツイッターでは注射をして調子がよくなった、と打ち込んだが、実は
三日くらい、そして今も陰鬱で、誰も知らない山奥の井戸に突き落とされたような、
かつての一番最悪の時期を思い出させる状態に近づいた。
前回と違うのはスマートフォンを完全に断絶させた点。
林檎が作った小さな板に一日中しがみついて、現実から逃避して、自省の時間を消していた。
今回は完全に自分と向き合っている。ちゃんと21時を感じた記憶もある。満月の日に、狭いマンションから父親の人間を想像して罪悪感にまみれた。
見城徹は言った。
「その人の書きたくないものを書かせるのが1番良いものができるし、売れるものになる。」
昨晩2時間くらい記憶の断片をえぐり返して過去を振り返った。人を見下したり存在しない優越感の味をいつまでも感じたり、緊張しがちな自分が経験した思い出さないようにまさしく蓋をしていた恥を掘り起こしたり。
病気の記録を残すことで今後の病気の人のためになると、上っ面で掲げたものも向いていない。はっきり言って自分が治ることばっか考えているし、ネガティブな記録の方が多い。
僕は水泳が死ぬほどきらいだった。中学のころ臨海学校の行事があり一週間前くらいから憂鬱で仕方なかった。
その臨海もそこそこに終わり、その感想文を書けという課題が。
感じたことなんて、ずっと帰りたいとしか思ってなかった自分は、ただ純粋に
帰れてうれしかった、ことや、宿の水がぬるくて不快だったことを書いた。
提出後の学年便りには、僕の文章が1番に載った。
見城徹の言葉がこの時の記憶を思い出させた。
上っ面な文章や、人の面白い表現を模倣した文章なんて、味がない。
自分の奥底から煮えてくる言葉や、見城徹の言葉を借りれば
肉体化させた言葉
で書こうと思った。
もう他の障がいの方が見て不快になるような事は書かないようにビクビクしているような文章は書かない。
この病気に、何か意味があるかなんて知らんし
めちゃくちゃ辛いし、他の病気なんてまだちょろいくらいに、痙性斜頸を捉えてる。
死にたいと思った事ないなんて、真っ赤な嘘で、毎日死にたいとか、死んだ方が楽だ
とか思っている。
同時に
どうせ死ぬんだから、足踏みな毎日でも、その足踏みで地面を掘って、削ってやる
とも思う。
脈絡なんてないし、矛盾しまくってるが
この矛盾も自分の内臓神経血管爪肉体から生まれたものだ。何が悪い。
でも、こんなブログでも見てくれてる人がいるなら、嬉しい。
間も無く迎える就活や、秋学期の授業にビクビクして、
自分の中の、本当に小さな瓶の中の嵐で、あっちこっちに体をぶつけながら、怯えている小動物を感じれたらそれこそが僕だろう。